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気持よさの反対のこと。


TUEUさんの・・・あらゆるdiscomfort は、全て、自分が自分に与えているそうです。
この1文に刺激されて、感じることを記しますね。
1.人の心の目に見えているものはその人が見たいと思っているものが見えている。
2.われわれは認識したいと思っていることしか認識できない。
3.われわれは物事を見たいと思っている方向でしか見ていない。
4.全く同じ環境や状況でも人のとらえ方、感じ方で、その状況の解釈が違う。つまり、その状況
  の意味はその人がつくる。
5.簡単に言えば全ての人は何らかの色めがねを持っていて、それを通してしか見ることはできない。
  つまり完全に透明なめがねを持つ人は存在しない。
6.したがって、物事をありのままの姿でとらえることは不可能なこと。
何やらややこしい感じの話ですが、
何かを知るというとき、実は、知るこちら側に何かの尺度みたいなものが必要なのだと思います。
その尺度のようなものが全くなければ知るということさえ意識できないのではないでしょうか?
だとすれば、その尺度の有無が問題ではなく、尺度の公平性みたいなものが問われるのでしょう。
その尺度の大きな部分にその人の価値観がありますね。
あるdiscomfortに出会ったとき、それをどうとらえるか?
ひとつの方法として、そのdiscomfortがどこから来たものなのかを考えてみることだというのでしょうか。
ひょっとして自分の中の何かがつくりだしているのではないかな?というふうに。

少し別の話ですが、感受性が豊かな人間は、センサーがいっぱいあるので、そのセンサーにとって
良い刺激がないときには、(本来必要な情報に出会えないときには)、自分でその刺激をつくりだす
ことがあるそうです。そしてそれは、外からの刺激に対して、感じ方が過敏になってしまうことになる。
外からの刺激に自分がつくった刺激(思い込みみたいなもの)が加わって、過剰な反応が生じます。
本来ならセンサーがいっぱいあることは人生がいっぱい楽しめることなのに、それが空回りして内部
に不安というエネルギーをかかえることになる。そうなるとセンサーがいっぱいあることがつらくなって
きます。感受性の豊かな人が開花できないのはそうなっていることが多いかな?
本来必要な情報とセンサーにとって良いと思われる刺激を僕らが選ぶことができるならいいのですが。

実はそれを選ぶには、それこそ先の尺度が必要ですね。
気持よさの尺度です。

また少し別の話ですが、ある人がある目標に向かって努力することがあったとします。
その目標を達成するための準備(努力)をあまり苦痛に感じないでいく場合と、
ずいぶんと苦痛に感じる場合があろうかと思います。
ではその別れ道はどこか?
例えばヨンさまのことばを原語で理解したいと思って、必死にハングルを習えてしまう人や、
大理石の塊をみて、その中にすでに刻みたい姿を見て、寝食を忘れて、早く早くと、その像を掘り出して
しまったミケランジェロ。のような人にとって目標達成の準備時間は、ほとんど苦痛には思わないかもしれません。

それはたぶん そんな人は、目標を得たときの気持よさの理解の深度がずいぶんとハイレヴェルにあるのだと
思います。そんな人はきっと、努力している時間でも常に完成形(の気持ちよさ)のイメージが心の中心にあって
ブレルことがありません。ここが大きく違うと思いますね。完成していないのに完成した気持よさをすでに知っている
のですから、これはモチベーションとしては強いですよね。
だからぼくはいまだ見ぬものをどれだけ深くすでに見たものにしているのかが大きいと思います。

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