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中澤建築工房中澤光啓のblog

キッチンセミナー「プランニングのポイント」参加報告1/6

写真は中澤建築工房の仕事です。3mm厚の1枚のステンレス板を曲げて、曲げて立体化してつくりました。
曲げるのも掃除の手が入りやすくするために半径10mmの曲面がついてます。
カウンターの4辺が全て立ち上がっていますので、水じまいが良いです。
STUDIO KAZ 和田浩一氏のキッチンセミナー第1回目の報告です。
テーマは「キッチンプランニングのポイント」です。
(私の私見なども混ざってます。自分が理解したことしか伝わらないことも多々あると思います。)

1.キッチンという言葉は2つの意味の使われ方をされている。
  家具(モノ)としてのキッチン  と  空間としてのキッチン  である。
2.空間としてのキッチンという視点。
  キッチンは使いやすいだけでなく、美しくて、雰囲気をつくっていることが必要ではないか。
  キッチンに立つ時間より、他からキッチンを見る時間のほうが長いので、見せ方をしっかり考える。
  使わないときの存在感を考える。
  家族の生活シーンをつくるキッチン。と表現されていました。
  生活のシーンということの具体例では、
  例えば、お母さんが調理しているのがカッコよくみえるキッチン。
 (キッチンがカッコいいというより、そこで行為する人間がカッコよくみえるのが良い。これができれば、
  こどもが私もお母さんのようにキッチンでやってみたいと自然に思えるかもしれません。
  このことはキッチンに限らず、例えば、書斎でお父さんがカッコよくみえるように。とか、
  トレーニングルームで大人がカッコよく見えるようにとか、いろいろ応用できますね。)
3.家族には特徴があるので、その特徴をつかむと方向性が決まる。
4.キッチンデザインは食生活をデザインすること。
  その家族は食生活をどうとらえているか?
  食事にからむ家族のコミュニケーションのデザインをすることになる。
5.いまどき多いオープンキッチンの弱点。
  キッチンが家の中心にあってあまりにオープンだと、いつもキッチンのなかで生活しているような感じになるけど?
  調理の音がTVや会話をさまたげる。
  調理臭が部屋にひろがる。(IHのほうが上昇気流がないぶんガス火力より臭いが広がりやすいそうだ。)
  煙が排気しきれない。
  それでもオープンキッチンを望むなら、キッチンらしくないキッチンにするという手もある。
  具体的には、吊り棚と冷蔵庫とレンジフードの納め方の影響が大きいので工夫する。
6.使う人の創意工夫ができる余地を残す。あまり細かく使い方を規定しない。例えば引き出しの中は仕切らずに
  そのままにして使用者に任すなど。

抽象的であることって?


いらないと思える線を極力排除した空間があります。
巾木・回縁・出入口の枠・窓の枠・電気スイッチのプレート・照明器具などが一切見えません。
ガラスがはまっている枠も目に入らないようになっています。
その空間に身をおくと僕個人はすこぶる気分が良い。
そこに花があるなら、その花の有様が強調されているような感覚になります。
その花に意識が集中しやすい感じがあります。
何故か?
空間にノイズがないからと言えるのではないでしょうか?
前出の各パーツはあればあったで、ノイズかと言われるほどには気にはならないとも言えますが、
ない空間をしみじみ味わうと、かのパーツ達はやはりノイズに思えてくるのです。
ノイズがないと感じるのだから、静寂なイメージが広がっています。
これは意味あることですね。
具体的なパーツ類が少ないと抽象的な雰囲気が濃くなるとも言えます。
抽象性が増すとどんな気持ちになるでしょうか?
かの部屋には照明器具も見えないのですから、いわゆる間接照明です。
壁や天井・ときには床のある部分がボワーンと光って、部屋のあかりとなっています。
ボワーンと表現したのは光がグラデーションをつくっているからです。
これがまた美しい。光の性質を利用した効果です。
抽象的であることとは、
特定の意味や感じ方の方向性を限定しないことです。
人側の見方感じ方によっていろいろ違ってみえることです。
こちらの気分によって違って感じることです。
これは気持ちの方向性を指図しないことだと思います。
揺れ動く気持ちの幅に応えるものです。
人の気持ちを受容する許容度が高いと言えるのではないでしょうか。
この抽象性は人に解放感を与えていると言えそうです。

気持よさの反対のこと。


TUEUさんの・・・あらゆるdiscomfort は、全て、自分が自分に与えているそうです。
この1文に刺激されて、感じることを記しますね。
1.人の心の目に見えているものはその人が見たいと思っているものが見えている。
2.われわれは認識したいと思っていることしか認識できない。
3.われわれは物事を見たいと思っている方向でしか見ていない。
4.全く同じ環境や状況でも人のとらえ方、感じ方で、その状況の解釈が違う。つまり、その状況
  の意味はその人がつくる。
5.簡単に言えば全ての人は何らかの色めがねを持っていて、それを通してしか見ることはできない。
  つまり完全に透明なめがねを持つ人は存在しない。
6.したがって、物事をありのままの姿でとらえることは不可能なこと。
何やらややこしい感じの話ですが、
何かを知るというとき、実は、知るこちら側に何かの尺度みたいなものが必要なのだと思います。
その尺度のようなものが全くなければ知るということさえ意識できないのではないでしょうか?
だとすれば、その尺度の有無が問題ではなく、尺度の公平性みたいなものが問われるのでしょう。
その尺度の大きな部分にその人の価値観がありますね。
あるdiscomfortに出会ったとき、それをどうとらえるか?
ひとつの方法として、そのdiscomfortがどこから来たものなのかを考えてみることだというのでしょうか。
ひょっとして自分の中の何かがつくりだしているのではないかな?というふうに。

少し別の話ですが、感受性が豊かな人間は、センサーがいっぱいあるので、そのセンサーにとって
良い刺激がないときには、(本来必要な情報に出会えないときには)、自分でその刺激をつくりだす
ことがあるそうです。そしてそれは、外からの刺激に対して、感じ方が過敏になってしまうことになる。
外からの刺激に自分がつくった刺激(思い込みみたいなもの)が加わって、過剰な反応が生じます。
本来ならセンサーがいっぱいあることは人生がいっぱい楽しめることなのに、それが空回りして内部
に不安というエネルギーをかかえることになる。そうなるとセンサーがいっぱいあることがつらくなって
きます。感受性の豊かな人が開花できないのはそうなっていることが多いかな?
本来必要な情報とセンサーにとって良いと思われる刺激を僕らが選ぶことができるならいいのですが。

実はそれを選ぶには、それこそ先の尺度が必要ですね。
気持よさの尺度です。

また少し別の話ですが、ある人がある目標に向かって努力することがあったとします。
その目標を達成するための準備(努力)をあまり苦痛に感じないでいく場合と、
ずいぶんと苦痛に感じる場合があろうかと思います。
ではその別れ道はどこか?
例えばヨンさまのことばを原語で理解したいと思って、必死にハングルを習えてしまう人や、
大理石の塊をみて、その中にすでに刻みたい姿を見て、寝食を忘れて、早く早くと、その像を掘り出して
しまったミケランジェロ。のような人にとって目標達成の準備時間は、ほとんど苦痛には思わないかもしれません。

それはたぶん そんな人は、目標を得たときの気持よさの理解の深度がずいぶんとハイレヴェルにあるのだと
思います。そんな人はきっと、努力している時間でも常に完成形(の気持ちよさ)のイメージが心の中心にあって
ブレルことがありません。ここが大きく違うと思いますね。完成していないのに完成した気持よさをすでに知っている
のですから、これはモチベーションとしては強いですよね。
だからぼくはいまだ見ぬものをどれだけ深くすでに見たものにしているのかが大きいと思います。

家族の愛が深まる家を提案して。

 


家族の愛が深まる家を設計して とAさんから言われたのでどうするのか少し考えてみましょう。
まずいちばん気になるのは、Aさんが愛をどのように考えているのかよく聞かなければなりません。
しかしAさんは言葉ではなかなか説明しにくいので、こちらが考えるものをとにかく提案してみてと言うのです。
そしたら、こちらとしてはとりあえず、愛が深まる状態とはどんな状態なのかをまず考えるために、
気持よい状態をあらわす言葉を挙げてみます。
1.わくわくしている。
2.喜んでいる。
3.楽しい。
4.快適だ。
5.うれしい。
6.好きだと思っている。
7.集中できている。
8.笑っている。
9.真剣である。
10.熱中している。
11.安心している。
12.感動している。
13.美しいと感じている。
14.興味しんしんでいる。
15.すばらしい。と思える。
16.誰かのために何かしている。
17.自分のために何かしている。
18.リラックスしている。
ざっとこんな気持よい状態がいっぱいあればその家の住人は幸せといえるのでは?
上記の項目1つ1つに応える具体的な空間の提案もできそうです。
そしてそんな気持よさを増幅する方法が、家族間のコミュニケーションです。
自分の喜びを本当に共有してくれる存在がいたら、さらに楽しいものになりますよね。
1人1人の気持ちよさのための空間確保と
コミュニケーションのために有効な空間の確保、この2つがポイントですね。
1人で気持いい空間に居られること。気持いい空間に何人かで共に居られること。
家族が気持よく過ごせる家にはこの2つの空間が必要でしょう。
人が気持良く過ごせる家に暮らしたら、愛が深まるでしょうか?
さらにその人が気持よさの彼方にあるものを求めたら、
きっとそれは愛を深めていくしかないのだろうと思います。
だから僕はそんな気持よい家を提案したいと思うのです。

素数の意味って?

こんにちは。

こんにちは。
よろしくお願いします。
気持いい建築のことをいつも考えています。
1度考えたことでも何度でもくり返し考えています。
気持よさは人によっていろいろ違いがありますね。
しかし多くの人にも共感できる気持よさがあります。
いままで知らなかったような気持よさでも何故か
すぐに共感できることも多いのです。
そこには気持よさの法則みたいなものがありますね。
そんな気持よさを実現するには、
苦痛を感じて気持わるくなるような、準備時間が必要です。
完成したときの気持よさを明確に知るほど、
膨大で地味な作業の苦痛さえも、
ストレスを残さずにこえていけるのでしょう。
完成後の気持よさをより深く知ることと、
準備のときに頭でっかちにならずに、体を良く動かすことが
僕には必要かな?

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